子どもの頃のことを思い出していた。
わたしは何か作ったり描いたり、表現することが好きな子どもだった。
ひらがなや漢字を覚える年齢になったら新しい文字を読んだり書いたりすることがとても楽しく、絵を描くことも好きだったので紙さえあれば楽しく過ごせた。
絵が上手と言われるのが嬉しくて、褒められるとまた描いた。
描くのが楽しかった。
そんな子ども時代を過ごしたわたしは進路を選ぶ時期になっても絵の道に進むことを選んだ。
しかし、受験するにあたり予備校に通ったり大学で制作したりする中で、自分が何を本当に表現したいのか徐々にわからなくなってしまっていた。と、今になっては思う。
ところで、わたしはアロマンティック/アセクシャルを自認している。
自認したのは20歳になった頃だと思うが、周りとの会話に違和感を覚え異性愛者ではないと感じ始めたのは小学校高学年〜中学生の頃だったと思う。
当時言語化はできなかったが、違和感を感じてから言葉に出会うまでの間に、社会の中で自分の本心を飲み込んで当たり障りのない受け答えをする術を身につけてしまっていた。
だからだろうか、自分を表現することが昔よりもうまくできなくなっていた。
当時はわたしなりに真剣に制作に向き合っていたと思う。
きっとその時のわたしにしかできなかった表現だとも思うが、何かを隠そうとしながらする表現は、人の心の奥には届かない。
自認して昔からの違和感の正体には気づいたものの、それからもずっと本当のわたしを心の奥の部屋に隠して、玄関先で笑っているような気持ちだった。
そんな風だったからだろうか、大学を出てから絵が描けなくなった。
正確には何を表現したいのかわからなくなった、が近いかもしれない。
(それでも何か描きたい気持ちはありしばらく二次創作に打ちこんだりしていたのだが、それはまた別の話。)
絵が描けなくて、短歌をはじめてみたり、楽器を弾いてみたり本を読んだり映画を観たり色々なものに手を出して、最近ようやく心の奥にしまったわたしが表に戻ってきた気がする。
今は文章を書くのがしっくりきていて、文章と絵で何かできないかなと考えている。
子どもの頃のように描けるかはわからないが、ここからまた今のわたしなりに、表現したいことを世に出していけたらなと思うのだった。